こんにちは、美容師・つまみ細工で創作活動をしております、土山初代と申します。
私は、バセドウ病です。だけど今は少しずつ症状が緩和し、薬を飲まなくてもいいくらいになりました。
症状を緩和させることに成功したきっかけになったのは、バセドウ病の方々にお会いしてお話を伺ったことです。
本当にいろんな方とお話しました。直接お会いしたこともあります。SNS上で知り合ったバセドウ病の方々ともお話をしました。
沢山の方の、バセドウ病との向き合い方をヒントにして、何とか改善の兆しが見えてきています。
まだ、バセドウ病を発症する前のように何よやっても大丈夫とまではいきません。だけど、ゆっくりのペースではありますが、少しずつ少しずつ良い方向に進む事ができています。
今回は、バセドウ病の方々とお話をすることで、病気と向き合う勇気がわいたのでその時のことを共有できればと思います。
バセドウ病を発症したばかりの時は向き合い方がわからず苦しかった
「あなたはバセドウ病です。」
お医者さんに言われた時は、とにかく唖然としたというのが正直なところです。自分のことを言われている気がしませんでした。
会社に言うべきかもわからなかったし、両親に伝えるのも悲しませるのを分かっていたので、とてもじゃないけれど言葉にできませんでした。
結局、両親に伝えたのは病気になって1年後くらいでした。会社を辞める決断をして、なぜ辞めるのかを伝えなければならなくなり、事情を話しました。
それまでは、黙っていてバセドウ病が治せるのなら黙っていようと思っていました。
だけど、会社には伝えた方がいいと決断しました。もし何かあった時に、一番初めに迷惑をかける場所と思ったからです。
それと、本気でバセドウ病を治すためには、話しておいた方がいいと思ったからです。
もし、忙しい繁忙期に出張やら残業やらが続いてしまったら、病気と向き合うどころがどんどん進行していくと思ったからです。
自分を大切にできなければ、逆に周りに迷惑をかけてしまいますからね。だから、会社には話しておこうと思いました。
きちんと話しておけば、会社として考慮できる部分はしていただけますし、もし何かあったとしても、仕事で誰かに迷惑をかけてしまう事を最小限に抑える事ができると考えました。
とはいっても、朝9時から17時半までは仕事です。家につくのは18時半前くらいでした。普通の8時間労働ですが、バセドウ病の私にとっては至難の業でした。
帰り道は、もうフラフラの状態で体は鉛のように重くなってしまいます。もう少しで家、もう少しで家と思いながら這いつくばるような気持ちで帰っていました。
大げさのように聞こえるかもしれませんが、本当に体が重くて思うように動かなくなります。
マンションのエレベーターまでたどり着いたら、エレベーターの壁にもたれかかっていました。ドアを開け家に入った途端に、そのまま床に寝そべってしまうなんて日常茶飯事です。
泣く気力もご飯を食べる気力もお風呂に入る気力もないけれど、明日も仕事なので最低限のことはしておかなければなりません。
重たい身体を無理やり起こして、とりあえず人としてやるべきことをして寝る準備をします。
しかし、バセドウ病の厄介なのはここからです。体は疲れ切っていて鉛のように重く、動くことなんてできないほどクタクタなはずなのに、全然眠れません。
夜寝れない状態で体も休まらず、だけど体を無理やり起こして会社に行くという日々を、何とか送るしかありませんでした。
どのように病気と向け合えばいいか、わからない日々が続きました。初めの方は、休みの日に図書館に行って、バセドウ病の本を読みあさりました。
お医者さんのいうことだけでは、私の中で情報が全然足りなくて、とにかく病気の事を知るためにいろいろと調べまくっていました。
お医者さんにお話を伺えるのって、診察の数分くらいです。だけど、本を読めばお医者さんにゆっくり聞けなかった話や情報を知る事ができます。
だから、とにかくいろんな本を読んだり検索して調べたりしました。
そんなことをひたすらしていると、バセドウ病の症状を緩和する事ができた方のブログやYouTubeやSNSを見かけるようになりました。
バセドウ病で苦しんでいる方とお話する事ができた
SNSで知り合ったバセドウ病の方々と、お話させていただく機会にめぐり合わせる事ができました。
この時、初めて同じバセドウ病の方々とお話をさせていただきました。私は、発症してから1年未満の間もない感じでしたが、長くバセドウ病と向き合っていらっしゃる方もいました。
どのように病気と向き合っているのかなど、実際のお話を伺う事ができました。
やっているお仕事や環境はバラバラでも、同じ悩みを分かち合うだけで心が満たされましたし、心が楽になりました。
「自分だけじゃないんだ」
そう思えるだけでも心の支えになりました。
私は、自分のことだけをやっていればいいですが、お仕事をやりながらお家で家事や子育てをされていて、休まる間もない状態の方もいらっしゃいました。
仕事が終わり、床に寝そべる事ができるだけましなのかもしれない、と思いました。
環境によっても、バセドウ病を治しやすい環境・治しにくい環境というものがあるのかもしれない、ということを知る事ができました。
バセドウ病を克服した方にお話を伺いに行った
SNSで知り合った方々とお話をした後も、私は色んなバセドウ病の方のブログを読んだりYouTubeやSNSで情報収集をしていました。
そうしているうちに今度は、バセドウ病を完治した方にお会いする事ができました。完治とはいっても、バセドウ病は基本的に一度発症したら、本当の意味で完治することはできない病気です。
だけど、「一度症状が出なくなってそれかな何年も出ていない」ということでした。いろんな方とお話していると、”バセドウ病の症状が出なくなった” という方にも沢山出会う事ができました。
バセドウ病が発症する原因は、はっきりとしたことは医学的には解明されていないようです。
だけど、バセドウ病になってから感じていることは、【環境・自分の意識・体質】この3つが重なっていると感じています。(人それぞれなので、私の場合という感じで読んでくださいね)
バセドウ病が治った方のお話をお伺いした時に教えていただいたのは、環境を変えた事・意識を変えた事・漢方を飲み始めたというこの3つでした。
まず環境は、その方も会社で働いていたころにバセドウ病を発症たようでした。
その時のその方の意識は「もっとやれもっとやれ!と自分のお尻を自分でたたいて頑張っていた」との事でした。
自分を追い込んでさらに頑張ることで、体が悲鳴を上げバセドウ病を発症したとの事でした。
その方が言うには、「自分で自分を追い込んで引き起こした病気だから自分の意識で病気を治せる」と思ったといわれていました。
そこから、環境を変えて自分で個人事業主として仕事をするようになったとの事でした。そこからは、自分を追い込むようなことは一切せずに生活をしていくうちに、症状が緩和してきたとの事でした。
環境を変えてから同時に漢方を始めたとおっしゃっていました。だけど、漢方は直接の治療法ではないから、環境を整えたり意識を変えることをしながら、なおかつ薬での治療を同時にやったとの事でした。
この方だけではなく、バセドウ病を治したといわれている方との何名かの方とお話をしました。
共通していたことは、会社を辞めて自分でお仕事をされている方がほとんどでした。
全ての方ではありませんが、漢方を飲んでいるという方もいらっしゃいました。
私も今はフリーランスとして好きな事を仕事にするようにしていますが、自分で個人事業主として仕事をしている最大のメリットは、”自分の身体に合わせた仕事のスタイルができる” ということだと思います。
私自身も、フリーランスとして好きな事を仕事にするようになって、病気の症状に合わせた病気を中心にした働き方を選ぶことができるようになったというのは、大きなメリットだったと思います。
私が、フリーランスとして好きな事を仕事にするようになったのは、バセドウ病を治した方のお話がヒントになりました。
苦しくても誰かと共有できるだけで楽になる事だってある
バセドウ病を発症した時は、本当にどうするべきかわからなかったし、どう向き合えばいいかわからなかったし、それどころか自分が病気になるなんてという驚きがありました。
本当にいつ何が起こるか起こるかわからないと思いました。どちらかというと健康体な方でしたから。
バセドウ病を発症してから、バセドウ病の方々とお話をさせていただけたことは、本当に心の支えになったし心が楽になりました。
バセドウ病と向き合うためには、本を読むだけでは解消されない、お医者さんにアドバイスをいただくだけでは解消されない部分が沢山あります。
例えば、薬を飲まなくてよくなったのに、なぜか症状が治まらないとかです。
これって、絶対にお医者さんではわからない所だと思います。だって数値は健康体なんですから。
だけど私的に言うと、数値は健康な状態であっても、症状が出ている時はまだまだ不安定な状態の身体なんだと思います。
何とかいい数値を保っているだけの状態、何とか甲状腺の腫れが緩和している状態なだけ、と私はとらえています。
“数値が大丈夫だから動ける” という感じではなく、数値が安定しているからこそさらに安静に過ごす日々を続けていくことが大切だと思っています。
数値が安定するのは、最低限やらなければならないことであって、本当の意味で治すまでは、動けると思っていても安静することを一番に辛抱強くゆっくりする時間をとるのが大切だと思います。
どうか、我慢して頑張る選択ではなく、自分を大切にする選択を是非していただければと思います。