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バセドウ病の私が好きな事を仕事にする理由⑧バセドウ病で辛いと思った事

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こんにちは、はっちゃん先生こと土山初代と申します。

私は、バセドウ病になり約3年がたちます。私は、比較的軽い方だと思っています。

バセドウ病は、緩和していく人もいれば10年・20年バセドウ病と共に生活をされている方もいらっしゃいます。

今の私の状態は、薬を飲まなくてもいい所まで行ったけど、健康な時だった時に比べると圧倒的に動く事ができていない状態です。

しかし、スローペースで少しずつ改善していっています。

今回は、私がバセドウ病になって辛いと思ったことをご紹介していきます。ちょっとネガティブな内容ですが、バセドウ病の方にとって共感できる部分もあるかと思います。

周囲にバセドウ病の方がいらっしゃっる場合は、「バセドウ病ってこんな病気なのか」ということを知っていただければと思います。

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バセドウ病になって辛かった事①|バセドウ病と知った時

「あなたはバセドウ病です」

そういわれた時は、正直言って “自分のことを言われている感覚がない” という感じでした。「何言ってるんだろう??」という感じです。

頭では自分のことを言われているとわかっているのに、腑に落ちないという感覚です。

だけどその反面、最近の身体の調子を思うと納得もいく気がしました。正直言って、病気だとわかった時は安心しました。

病気だあることはイヤだけど、「この身体の感覚は病気からくるものなんだ」ということがはっきりしたことで、安心したことです。

何かわからないまま、きつい状態が続く方がつらいと思いうからです。

だけど、やっぱりそれでも辛い。だって、バセドウ病は一生治らない病気だからです。私のブログでも、バセドウ病を治すという表現は使っています。だけど、本当の意味では完治しない病気です。

もちろん症状を緩和させることはできます。バセドウ病が治りました。と言っている方も、正確にいうと「今は症状が出ていないだけ」の状態だからです。

症状が出なくなったような人を見ても、前向きに頑張っている方を見ても

初めからそんな前向きになれるもんじゃない。

自分の中で「自分はバセドウ病なんだ」としっかりと理解するまでは、自分の中で「一生治らない病気なんだ」というものがどういうことなのかしっかりと理解するまでは、自分の中で「こんな風にバセドウ病と付き合っていこう」と折り合いをつける事ができるまでは

誰に何と言われようが、“辛い” という気持ちが消えることはない。

なぜか異常なほどに動き回ってしまう自分、ちょっと階段を上っただけで動悸がする感じ、仕事が終わると鉛のように重い身体、何もしていないのに手が震える感覚、両手のしびれがあり全くと言っていいほど入らない力、心臓の音が聞こえてしまうくらいうるさいほどの鼓動、ちょっと歩いただけで周囲に驚かれるほどの大量の汗、動きすぎた時の顔つきの変化、体は疲れ鉛のように重いはずなのに異常なほどに眠れない日々

「今まで元気だった私が何でこんなことになるの??」

という思いが心から消える事はありませんでした。

「目の前の仕事はどうすればいいの?」「人生でやりたい事が全然終わっていないのにもう終わり?」「親になんていえばいいの?」「これから死ぬまでの間ずっと鉛のように重い身体で生きていかなければならないの??」

毎日毎日ネガティブな感情や想いが頭の中をぐるぐる回る日々。

「心臓の音がうるさい、眠れない、明日寝ない状態で仕事に行かなきゃ、どうしようどうしようどうしよう・・・。」

「体が重い、顔つきが変わっている、目の充血がひどくなってる、眼球突出になったらどうしよう、・・・・。」

不安は募るばかりの状態で、ストレスはたまる一方。

初めの頃は、こんな状態で自分がバセドウ病としっかりと理解するまで、バセドウ病との折り合いをつけるまでは不安しかない状態です。

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バセドウ病になって辛かった事②|病気には絶対に勝てないと思った時

私の場合、約40年近くは健康な状態だったので、健康が当たり前でした。

私が健康な時に美容師をやっていた頃は、日付が変わったとしても休みなく働いたとしても楽しくて仕方がなかった日々を送っていました。

「休みたい」とか「早く帰りたい」とか「遊びたい」とか、本当に思ったことがないくらいでした。

だってやりたい事やって好きな仕事しているのに、「休みたいって何?」「別に早く帰らなくてもいいんだけど」「もっとやりたい!もっと学びたい!」というふうに思っているくらいでした。

仕事を仕事と思っていないような、超絶元気な人でした。

だからこそバセドウ病になった時には、やりたいと思ったことがやりたいと思っているようにできないもどかしさ辛さを初めて知ることになりました。

今までは、自分が「これしたい!!」と思った時には、誰が何と言おうが突き進んでいました。「振り向いた時に誰もついてこれないところまで行こう!!」と思いながら取り組んでいました。

両親に反対されようが上司にぎゃふんといわれようが、全くお構いなしにやっていました。「働いている職場にとってプラスになることで得あれば、反対されようが何と言われようが文句言われる筋合いはない」と思って、突き進んでいました。

わがまま極まりないですよね。

そんな私が美容メーカーに勤めるようになり、会社員として働いている時にバセドウ病になり、自分の思ったことが思ったようにできない辛さは、私にとっては一番つらいことでした。

“人に反対されたからできない”

ということではなく

“自分で決めたことさえもできない身体になった”

から辛かったのだと思います。

やりたくても身体が思うように動かず、人の手を借りまくらなければ何もできず、

「もう二度とあの頃のようにやりたい事に対して全力になることはできないのか」

「飲まず・食わず・眠らず、夢中になって好きな事をしてた時のように二度とできない」

以前の自分は、健康な事を良いことに好きな事を好きなようにして、贅沢だったのかもしれません。何をどのように努力しても “病気には勝てない” というのは私にとって絶望といってもいいほど、とてもつらいことでした。

だけどこうも思います。何をどのように努力をしても “病気には勝てない“ ということを、身に染みて知る事ができたのは、ある意味いいことだったのかもしれません。

もしあの頃のままの自分だったら、この世に「好きな事を好きなようにやれない人がいる」ということを、頭では何となく分かっていたとしても、体感として知る事ができなかったからです。

人の痛みを分かる人間にはなれなかったと思うからです。

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バセドウ病になって辛かった事③|周囲の優しさともどかしさの葛藤

私がバセドウ病になった時は、会社員として働いていました。とてもいい会社でした。みんな私のフォローをしてくれてたし、私自身は比較的体力を使わなくてもいい仕事をさせてもらっていました。

大きなイベントがある時も、「遅めに出勤してもいいよ」と言っていただいたりもしました。

だけど、元気な時に躊躇せずにやっていた自分が染みついているから、なかなかこの心使いを喜んで甘えて受け止める事ができないという自分がいました。

「申し訳ない」という気持ちや「みんなも頑張ってるから私もやらないと」という気持ちが、ふつふつと湧き上がってきて、素直に受け止める事ができませんでした。

この頃は、もうすべてが悪循環になっているから、みんなの優しさが逆にストレスになってしまっていて、何をどう受け止めていいかわからない状態でした。

優しく声をかけていただけるけれど、それにこたえられない自分がいて、もどかしさとの葛藤が続きました。

優しさもストレスだし、だからといって頑張ってもストレスだし、休んでもストレスだし、もう何をやってもダメな状態に陥っていました。

何をやってもダメな私に上司が、休業も1年くらいなら取れるといっていただいてましたが、バセドウ病は一生治らない病気なので、「1年休んでも、戻ってきたらまた同じだ」と思いました。

いろいろ試してダメだということが、身にしみてわかったので退職して一度リセットしようと思いました。

バセドウ病になって辛かったこと④|両親に伝えられなかったこと

私は、バセドウ病になってから約1年間は両親にバセドウ病ということを伝えられませんでした。

両親がバセドウ病の事を知ってしまったら、私以上に辛い思いをさせてしまうと思ったからです。両親には、元気でいつも好きな事に夢中な私だけを見ていてほしかったからです。

伝えたら両親が絶対に辛い思いをする、ということがわかっていながら伝えるって、本当につらいことです。黙っている方がよっぽど楽です。

だけど、40歳を過ぎた女が会社を辞めて東京で一人で実家にも帰らず生きていくって、「何かあったのかな?」としか思われない状態だと思います。

私自身も、会社を辞めて病気との付き合い方もわからず、これからちゃんと生きていけるのかわからない不安な状態で、元気なふりを続けることができませんでした。

だから、意を決して電話をする事にしました。

母親は、伝えたら泣いてしまうと思ったし、人生の大切なことは父親に先に話すと決めているので、父親に話しました。その内容を、父親から母親に伝える形になりました。

父親は、男ということもあり電話越しで取り乱すような事はありませんでした。会社を辞める前の夏休みに、実家に帰るということを伝えました。

会社を辞めて次に進むためのけじめとして、一度実家に帰り顔を見ながらちゃんと話をしようと思いました。

父親に伝えてから、数週間後に母親から泣きながら電話がありました。きっとこの数週間、家で泣いていたのでしょう。

両親から頂いたこの身体を、病気で仕方なかった事とは言え傷つけてしまった事、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

自分自身をきちんと大切に扱わないと、傷つけてしまう人がいるということを、この時身に染みて実感しました。

だからこそ、完治することはないかもしれませんが、バセドウ病を治すことを一番に考えていきたいと思っています。

バセドウ病になって辛かった事⑤|薬を飲まなくなっても症状が出る

薬を飲まなくてもよくなったのは、会社員をやめて美容師を復帰してから約1年と2か月ほど語ってからです。

甲状腺の腫れは相変わらずでしたが、血液検査の結果は正常値になっていて症状も緩和していたので、1か月ほど薬をやめてみようということになりました。

今まで、薬で無理やり抑え込んでいた甲状腺ホルモンは、抑えるものがなくなると当然出てきますよね。

のどの違和感、手の震え、手のしびれ、発汗、頭痛、疲れやすさ、軟便など、症状が出てしまいました。

やっと病気と上手に付き合えるようになったと思っていましたが、また不安との戦いになります。

美容室としては繁忙期の12月でした。薬をやめた時期と忙しい時期が重なって、症状は出るし不安になるしという状態に陥りました。

美容師として再開して約1年がたち、自分の顧客も増えてきてその忙しくなってきた流れを絶対に止めたくない、という思いとの闘いの日々でした。

このブログを書いているほんの数か月前の話です。

だけど、血液検査の結果も正常値ならお医者さんとしては、薬を飲まずに正常値を保たせるために、患者さんに前に進んでもらう必要もあると思っています。(私の勝手な解釈です)

美容師としても、もっとお客様に喜んでいただきたいし、もっと動きたいという気持ちもふつふつと湧いてきました。

だけど、以前のように体力勝負はできないので、今の自分にできる「好きな事を仕事にしていく必要がある」と思っています。

私には、まだまだやりたい事はあります。全てのやりたい事・好きな事を形にすると決めて生きているので、それを実現させるためにはバセドウ病を克服するしかありません。

そして、バセドウ病の改善はスローペースで改善すると思っているので、ちょっと動きたくなっても無理はせず自分の身体に相談しながら少しづつ進んでいけたらと思っています。

薬を飲まなくなってもバセドウ病の症状が改善しない、という方は多くいらっしゃると思います。ここから長引く方はやっぱり大変な思いをされると思います。

甲状腺が腫れていても、症状が改善しなくても、血液の状態が正常値だと病院には頼れませんからね。

私は、これからも症状が見え隠れしながらもスローペースで改善していけると信じています。だって、実際に改善されている方もいらっしゃるので、そちらの方にかけてみようと思います。

バセドウ病はつらいことも沢山あるだけど大切なことも教えてくれた

バセドウ病になって、色々と考えさせられることが、本当に沢山ありました。

バセドウ病になった頃は、嫌なことも辛いことも耐えられないようなことも沢山ありました。

自分を大切にせずに「もっともっと」と働いていた頃、会社員で自分をおさえながら生きてきた事など、色んな ”自分を大切にしていない” がバセドウ病となって爆発して表に出てきただけだと、今では思えています。

その辛さの反面、世の中にはやりいことが自由になれない人がいることを実感できたこと、私自身が沢山の方に助けられ支えられて人の優しさを知れたこと、

そして両親の無償の愛、自分自身は自分自身で大切にしなければならないことなど、本当に大切な事を全て教えてくれた気がします。

これからも、バセドウ病を克服するために課題は沢山ありますが、少しずつ改善していこうと思います。